映画最高!(Cinema + Psycho)

映画に関するあれやこれやについて綴っていきます。映画の感想をメインに、映画にまつわるエピソード、そしてワンポイント心理学を紹介していきたいと思います。

映画「夜明けのすべて」感想 ―原作と映画の親和性―

 

「夜明けのすべて」概要と感想

 瀬尾まいこの同名小説を「きみの鳥はうたえる」「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化したドラマ。主演は上白石萌音松村北斗。共演に渋川清彦、光石研、りょう、他。
PMS(月経前症候群)により月に1度イライラと体調不良で自分を制御できなくなってしまう藤沢さん(上白石萌音)。仕事を転々とし、今はアットホームな雰囲気の小さな会社「栗田科学」で働いていた。ある日、そこに転職してきたばかりの山添くん(松村北斗)の態度に怒りを爆発させてしまう。しかし、そんな山添くんも実はパニック障害を抱えていたことが分かり・・・。

自分のX(旧Twitter)に投稿した一言感想はこちら。

 前回の記事の「ボーはおそれている」感想で不安障害について触れましたが、本作ではその一つであるパニック障害が取り上げられています。ただその描き方は実に対照的というか、「ボーはおそれている」では不安や恐怖が最悪な形で具現化しているように映し出されていましたが、本作ではいたってそんなことはありません。だからこそ、実際の症状としてはリアルに捉えることができるかもしれません。

「ボーはおそれている」については自分のブログで感想を書いていますので、興味のある方は、以下のリンク先の記事をご覧ください。

sputnik0107.hatenablog.jp

 主人公の一人、藤沢さんはPMS(月経前症候群)により、生理の周期に合わせて、つまりは月に1度はイライラと体調不良が襲ってくるという状態になっています。冒頭のシーンでは、藤沢さんのイライラが爆発したシーンが描かれていて、何気なく資料のコピーを頼んだ上司がイライラをぶつけられています。その後薬を服用して対処しようとしますが、副反応で眠くなってしまい、仕事中に眠ってしまうという失態をしてしまいます。その後藤沢さんは自主退職して、いくつか仕事を転々とした後に栗田科学に入社しています。

 一方、山添くんもパニック障害が原因で前の職場にいられなくなり、上司(渋川清彦)の計らいで栗田科学に転職してきます。ただ仕事中もどこか上の空のような雰囲気で、藤沢さんが(周囲にイライラをぶつけたお詫びに)買ってきたお菓子を受け取らなかったり、来客に挨拶しなかったりという行動がまた藤沢さんのイライラに拍車をかけてしまいますが、決定的なトリガーとなるのが山添くんが炭酸のペットボトルを開ける音!さすがにこれはちょっと理不尽すぎるとも思ってしまいましたが、そんなこんなで2人の出会いと印象を描いてくれています。

 その後、山添くんが会社でパニック障害の症状が出てカバンの中を必死で探しているのですが見つからずにパニックになっているところを、藤沢さんが気づきます。自分もかつて処方されたことのある薬だからすぐに分かったというのも頷ける演出でした。このことがきっかけで藤沢さんは山添くんに理解を示すようになります。そして予告編でも流れていた藤沢さんが山添くんの髪を切るシーンにつながっていくのですが、このシーンでも分かるように藤沢さんのややもすればおせっかいの押し売りのような行為が、山添くんの心を動かし、山添くんの方も藤沢さんに理解を示そうとします。この関係性が見ていて非常に微笑ましいのですが、それは2人が傷の舐め合いではなく、どちらかと言えばボケとツッコミの応酬のような形でいるので、それが2人の関係性を良い方向へと持っていきながら、さらには見ている側にも温かい空気感をもたらしてくれています。
 そういう印象を受けるのは、やはり主演の二人の個性と演技によるものも大きいと思います。藤沢さんも山添くんも冒頭の登場シーンで何も理解せずに見たら第一印象は、「自分のそばにいたら嫌だなあ」になると思います。それぐらい自然に演じているということでもあると思いますが、だからこそ自分の身近にいてもおかしくない存在として描くことに成功しているとも言えます。
 さらに、2人を取り巻く人々もまた彼らに対する接し方が素晴らしいです。栗田科学の面々は比較的年齢が高めの人が多いのもありますが、2人を理解し(と言っても山添くんは自分がパニック障害であることを公表していないのですが)、2人に過度に干渉するでもなくかといって放任するでもなく絶妙な距離感を保って寄り添っている印象です。PMSパニック障害も症状が現れていないときは普通に仕事や生活もできますし、外側からはそうした障害があることが分かりづらいということもあって、どう対処してよいか分からない(藤沢さんの前職の人たちがまさにそれですが)というのが一般的な反応や理解なのではないかと思います。栗田科学の面々は、病気や症状などに詳しくなくても、おそらくは経験的にどう対応するべきかというのが分かっているのでしょう。そんな彼らの存在が映画全体の優しい空気を生み出す要因にもなっています。また、栗田科学の社長(光石研)や山添くんの元上司(渋川清彦)はそれぞれ過去に愛する家族を失った経験があります。なので、より一層人に寄り添うことの大切さを理解していたのかもしれません。

 

藤沢さんと山添くんの対称性

 本作の主人公の2人、藤沢さんと山添くんは似て非なる部分があるのもまた両者の相互理解が深まっていった要因とも言えます。その点についてピックアップしてみたいと思います。

1. PMS(月経前症候群)とパニック障害
 藤沢さんはPMS(月経前症候群)で、山添くんはパニック障害との診断をそれぞれ受けています。PMSの説明は先にも書きましたが、女性の生理の周期と付随して症状が現れることが多いので、不幸中の幸いとも言うか、発症の時期をある程度推測することができます。そのあたりを山添くんが察知して周囲にイライラを撒き散らすのを阻止するというシーンも出てきます。対してパニック障害は最初の発症のタイミングも「ラーメンを食べていたら急に味がしなくなった」というようにいつ何時起こるかが分かりません。だからこそ電車のような公共交通機関、長時間拘束される美容室などを利用することができなくなるわけです。

2. 症状の捉え方
 藤沢さんが山添くんがパニック障害であることを理解するシーンがありますが、その段階で山添くんはPMSのことをよく分かっておらず、パニック障害の自分よりは軽い症状なのではないかと考えている節があります。1にも書いたように発症の予測可能性でいくと確かにPMSの方がある程度予測できるというところはありますが、症状としてはピンキリなので一概にどちらが軽い、どちらが重いとは言い切れないでしょう。また高校時代からずっと病気と付き合ってきた藤沢さんに対して、山添くんは社会人になってから発症しているので病歴としては短く、自分自身ですら自分の病状をうまく把握できていないのではないかと思われます。藤沢さんは副反応を嫌ってか極力薬を服用しないようにしているのに対し、山添くんは薬がないと不安が増長してしまうと考えているのもまた対象的です。
 ただこのズレこそが相互理解につながっていったという印象もあります。自分の好きな映画で「スリー・ビルボード」という作品がありますが、娘を失った母親がある男に対して差別的な意識を問題視しているのですが、その後、差別意識などないと思っていた自分もまた別の人を下に見ていたということを理解します。そういう存在があることで気づかされるというのは本作にも通じるものなのではないかと思いました。

 

3. 病気の公表
 藤沢さんは自分がPMSであることを公表しています。映画では「職を転々とした後で今の栗田科学に来た」というぐらいしか触れてなかった気がしますが、原作ではPMSを公表したことで転職活動自体も大変だったことが示されています。こうした症状がある人を受け入れる企業が少ない、ひいては社会的な理解が得られにくいということを示しています。対して山添くんは病気のことを公表していません。元上司や元恋人、栗田科学の人はなんとなく気がついている可能性はありますが、明確にパニック障害であると認識しているのは藤沢さんのみです。だからこそ彼女に影響を受け、彼女を理解しようとし、結果的に相互に助け合える存在となっていくのです。

4. 仕事への向き合い方
 藤沢さんは仕事に真面目に取り組んで一生懸命やっている印象です。彼女自身は自分が仕事ができると思っていないかもしれませんが、原作の方では山添くんが「藤沢さんは仕事ができる」と明言しています。一方、山添くんは自分はかつて仕事がバリバリできるタイプだったためか、栗田科学での仕事を若干下に見ている印象があります。元上司とのオンライン通話で元の職場に戻りたい旨をアピールもしています。ただこれは前の仕事は目に見えないプレッシャーが大きくてそれがストレスとして蓄積していったのが病気の原因となった可能性も考えられますね。だからこそ元上司は栗田科学を紹介したのだというのも容易に推測できます。そんな二人が協力して仕事をしていくというのもまた良いですね。


原作と映画の親和性について(ネタバレあり)

 本作も映画鑑賞後に原作を読みましたので、まずは原作と映画の違いから書いていきたいと思います。
映画の終盤に関わるネタバレを含みますので、未見の方はスルーをお願いします。

 

1. 「栗田金属」と「栗田科学」
 一番大きな違いはこれでしょうか。原作では2人が勤める会社が栗田金属となっていて、ネジや釘といった金属製の部品を製造する会社となっています。映画では栗田科学となっていて、小学校の理科実験などで使う教材を製造する会社となっています。この違いが一番大きく影響するのが、終盤で二人が協力して実現するプロジェクトです。原作ではどのような部品があるかを一般の人にも伝えるために倉庫見学ツアーのようなものを企画します。それが映画では小学校の体育館で実施するプラネタリウム体験になっています。この企画には栗田科学の社長の弟のエピソードもうまく絡んで行くし、映画としての絵面を考えたときにも有効でしたので、良い変更だったのかもしれません。

2. 「栗田金属(科学)」の社長と山添くんの元上司
 原作では栗田金属の社長はそれなりに登場しますが、山添くんの元上司は物語上には登場してきません。山添くんの家のポストに差出人不明のお守りが入っていたというエピソードがあって、それが元上司であることが後に分かるぐらいです。また原作ではこの二人の接点は全く描かれませんが、映画では2人がともに親族を失った人たちのグループワークのような集会で出会っていることになっています。
 原作でも栗田金属の社長の弟がすでに亡くなっていることが示されますが、どのように亡くなったのかはだいぶぼかされていますが、映画だと自殺の可能性が高いことを示しています。それゆえ栗田科学の社長をはじめとして会社全体で人に寄り添いたいという気持ちが現れています。原作では山添くんの元上司の詳細は明らかになりませんが、それでも山添くんをずっと気にかけているということが、後半の山添くんの気づきによって明らかになっていきます。

 他にも違っている部分はありますが、全体の印象としては原作のほうが藤沢さんと山添くんの2人の関係性ややり取りにかなりウェイトを置いていて周囲の人とのやり取りはあまり描かれません。映画のほうがもう少し周囲の人々は空間を捉えているという印象があります。

 瀬尾まいこ作品は自分が過去に読んだものは、中学生の駅伝チームを描いた「あと少し、もう少し」と、こちらも映画化もされている「そして、バトンは渡された」ぐらいですが、個々のシーンの何気ない会話だったり思いやりを感じる作風という印象がありました。

 

 そして本作の三宅唱監督は、函館を舞台に若者たちの自堕落にして奔放な日々を描いた「きみの鳥はうたえる」や、耳の聞こえない女性ボクサーを描いて昨年話題となった「ケイコ 目を澄ませて」がありますが、いずれも大きな事件や出来事を描いたものではなくなにげない日常の一コマを描いている印象でした。
 本作はそれがうまく融合した形になったと思います。原作の2人の関係性はお互いがお互いを理解し助け合いたいという気持ちはあっても、恋愛要素を感じさせることはありません。変にドラマとして盛り上げようという意識がないのが2人の距離感をうまく表していて、それが映画でも健在でした。また三宅唱監督は本作を16mmのフィルムで撮影したということで、やや粗めのざらついた印象のある絵が多いのですが、それが独特のぬくもりを生み出すことに成功しています。過去作でも長回しで雑感を取り続けたり、日常の一コマを切り取ったようなカットが印象的なのですが、本作でも会社の外の弱いけど確かな冬の日差しだったり、素朴ながら温かいプラネタリウムドームなど、そこかしこに優しさを感じさせる柔らかい絵が存在していたように思います。この原作と映画の親和性こそが、本作の魅力を高める要因となったのかもしれません。

 

ワンポイント心理学 ~共依存

 不安障害については前回の記事で書いたので、今回は共依存についてです。共依存とは、家族や恋人、友人などがお互いにお互いに対して過度に依存してしまうことを意味します。もともとはアルコール中毒の患者とその家族に対して用いられる言葉でした。アルコール中毒の患者に対して家族が何かとケアをしすぎることで、患者がそれに甘えてしまい症状がますます悪化してしまうという事例が多く報告されたことで共依存という呼称になりました。現在は先述したような広義の意味合いで用いられることが多いです。本作でも藤沢さんと山添くんがもし恋人同士となっていった場合、価値観や判断基準がお互いに委ねられすぎて、他の人と関わらなくなってしまうような形になってしまったら、まさに共依存の状態となってしまっていたかもしれません。当事者がより広い視野を持って物事を捉えられるようにすること、そして様々な他者への理解を示すこと、そのような環境が当たり前な世の中にしていかなければなりませんね。